塵労−無我夢中に線路の側を走る

世に疲弊し者のページ
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実習 介護体験 疑問

超長い感想文ですが、是非お読み願いたい!
熱い思いが込められております。

今回、活動してきた中で考えたことである。

はたして、私は彼らと接しているときにどんな気持ちで接しているのだろう。これだけ優しく接する事ができているのはどうしてか。そんな疑問を抱いた。それに対する自分なりの解答はこうである。
「心を見る。」
ただ、こう言われてもわかる人はいまい。当の本人でさえもこれではわからない。少し考察したことを述べていく。

まずはじめに、優しく接する事が出来るのはどうしてか、それを考えてみた。
一般的に優しく接する事が出来るのは、相手が自分より劣っている場合、同じ考えを共有している場合、血縁的なつながりを意識している場合、自分と何かの利害関係を持っている場合、ほかにも色々あるといわれるかもしれないが、代表的なものはこれらだろう。では、そのなかで一番先に予想されるのは相手が劣っているという選択肢ではないか。
それに対して、私はそうではないと思われる。なぜなら、何かしら障害を持っている人に対して何の嫌悪感も持たないし、その障害に同情したこともないのである。それでは無関心なのかと言われるかもしれないが、積極的にコミュニケーションをとりに行くのであるから無関心ではないであろう。
同情していないとどうして断言できるのか。同情とは人の不幸・悲しみ・苦しみを同じように感じ、思いやり・いたわりの心をもつこと。かわいそうに思うこと、である。私の中で障害とは、不幸・悲しみ・苦しみなどの否定的意味を含まない。障害とは、人という共通の土台の上に生まれ持った何かしらの違いでしかないと考えるのである。つまり、それぞれ背が高いとか、骨格が違う、そんなレベルである。ただ、生活に支障をきたすもので、人のお世話にならないと生活ができないものを持っているだけなのだ。髪の色や目の色、体格が違うからといって差別するのは社会的に排除される。同じように障害を持っていることを差別の目で見る人は排除されるべきだ。そのように思う。ある人はこう言う。「彼ら(障害を持つ人)を見ていると気が滅入ってしまう。非常に心が痛むのだ。」私はこのように語る人は全体の半数以上であると経験上思っている。ほとんどの人はこの言葉に同調するであろう。しかし、私はこの言葉に対して苛立ちを隠せないのである。このように言う人たちは皆、自分が標準であると、正常であると思っているのではないか。確かに私たちは標準であり正常であるという言い方をする。ここで不思議に思うのは「標準・正常」に対する見方はどうあるべきか、ということだ。普通、大多数の人が占めるものを「標準・正常」と言うだろう。その「標準・正常」を到達すべきポイントと考えるか、それともそこに自分があることを感謝するのか、どちらが正しいのか。世の中の考え方として社会がうまく進む選択肢を正解とする。それを当てはめて考えると後者を正解とすべきであろう。しかし、実際は前者が一般的な論理として用いられている。少し話がそれたように感じるが、話をここで戻そう。障害を持っていることについて、私は少なくとも否定的な見方はしたくない。どうしても免れられない状況の一つなのであると考えるからだ。生まれたところが富裕、貧困、戦争中、もしくは片親、核家族、拡大家族、一人っ子、大家族であるかもしれない。障害とはそれと同じようなに、生まれたときからの状況に含まれるのである。その制限された状況の中で生きていくために同じ人間同士、協力していかなければならない。お互いの個を認め合い、尊重しあっていくべきである。人に助けられなければいけない、協力しないと乗り越えられない、そんなことは無数に存在しているはずだ。どれも皆が体験してきているはずのことである。その労働は何に向かっているのか。それは、「標準・正常」という満足へと向かって存在し始めるのである。どんな問題にもこの論理は当てはまる。「人は満足という標準・正常へと邁進する」。なのに、少数派の心身の障害に対しては冷ややかな目、あるいは同情の眼差しを送る、このことに私は悲嘆を覚えるのだ。この内容から同情という概念を私は持っていないとわかっていただけただろうか。
ここで、誤解の起こらないよう一つだけ言っておきたい事がある。それは、今まで述べてきた私の考えと違う行動を起こしている人へ、つまり大半の人への私の見方である。多少批判的に聞こえたかもしれないが、私は一切非難したりするつもりはない。否定的な意味はこれっぽっちも入ってはいないことを伝えたい。私の考えと違う行動をしている人たちはなぜいるのか。答えは至極単純明快なものである。「知らない」のだ。言い換えると「体験していない」のだ。養護学校や特殊学級へ行ったりして体験したというひとがいるかもしれない。その人たちへはこのように言えるかもしれない。「気付いていない」のだ。では、何を「知らない」のか、「気付いていない」のか。
障害を持った人たちは、自分の出来る範囲でしか物事を行えない。誰もがわかることである。見方を変えてみよう。人は物事をどれだけ行えるだろうか。出来る範囲でしかない。人間はそれぞれ能力の違いがあり、その範囲内でしか物事を行えない。会社の昇進や、学生ならば成績表、これらの評価は何によって行われているか。それは相対的評価である。一方、家族の中で、地域の中で、友達関係で、もっと広い視野では人間関係で重要な評価となるもの、言い換えると個々の関係性を保つのに重要となってくるものは何か。それは、誠実さ、信頼、努力などの精神的なものである。
この二つ、社会での立場と人間関係、人が生きていくうえでどちらが大切であろうか。
「知らない」、「気付いていない」こととは何であろう。
非常に抽象的なところにまで話が進んでしまったが、どのような答えを見つけられたか。

数々の人との関係の中で、印象に残っているのは、「教えられること」である。それはなぜかというと、衝撃的な体験であるからだと思う。今までの自分を見つめなおす、自分の様々なところでの契機であるのだ。成長の節目であるといえよう。人が成長していく上で、欠かせないのが(避けられないのが)人間関係である。人間関係の次に社会が存在する。まず、人間関係を円滑にしていくべき事は、誠実さ、信頼、努力といった精神的なものであろう。そのほかの能力は後付けでもいいのだ。何事も人間関係から始まるからだ。
私は多くの障害を持つ人と接してきた。指導補助という立場で接してきたのだが、いざ接しているときになると指導補助ではなくなっている。相手と共に活動し、協力し、認め合い生活をしている。しかも、指導補助という名目でいるためか、それとも自分自身の傾向かわからないが、相手の出方を確認してしまう。指導補助で先頭に立つべき存在であるのに絶えず私は後手に、相手の出方次第で行動するように思われる。逆に障害を持つ人から私に積極的に近づいてくる。まだ、会って間もない大人の男性に、である。私は疑いとまではいかないが、それに類する考えを持ち接しているのに対し、彼らは疑うことをせずに接してくれる。この違いは、人間としての生きかたの評価にどのような結果を付すのか。当然、私のほうが人間関係をしていく上で劣っている。基本的な部分を失っている。そんな危険な私に対してまでも無言で、なんの躊躇もなく付き合ってくれる彼らの前で、私はどのように振舞えばいいのだろう。はずかしい。彼らが私へ生き方を教え、変えてくれる。優しく、謙遜に、しかも言葉なしに態度で示し、私の無駄なプライドを削ぎ落としてくれる。これほどまでに気分を爽快にしてもらった事があるだろうか。
私は幸せである。幸せを教えてもらえたのだ。ギブ&テイクとよく言うが、まさにプラスとプラスが融合しさらなる効果を生み出しているように思われる。心と心の触れ合いによる向上。いや、欠損した心を元通りに修復し、強めてくれるそんな人との出会いだ。
はじめに提起した「どんな気持ちで接しているか。」、「なぜ優しく出来るのか」。これに対するさらに具体的な答えはこうである。
・教えてもらいに、一緒に成長しようという思いで。
・優しくするのではなく、優しくしてもらうことで自分も優しい気持ち、行動になる。
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トイレットペーパー

まぁ、誰しも1日1回は使うであろうトイレットペーパー。
これの原料は「紙」である。
じつは、この「紙」、すべて払拭する能力は無いそうな…

ということは???
















毎回、毎回拭ききれていないということ(((p(>o<)q)))

所詮、気休めだったのね…

女性の方、また、神経質な方、申し訳ございません。
(byトイレットペーパー)

拭いても拭いても完全に拭き切れていない、
このトイレでの最終行動。
これってjinnrou(塵労)!?
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涙涙の電車男。

今晩、「電車男」を見た。

伊藤美咲が演じている女性は、
“騙された事のある女性”らしい。

人を騙すことは簡単であるように思われる。

騙す方が悪いのか、
騙される方が悪いのか。

先ほど、私が「騙すことは簡単」と言ったことから、
私の結論としては、
“騙す方が悪い”

じつは私、騙した事があります。

そのことを悔やんだ日から、
ずーっと、自分も騙されたくないし、
絶対に騙したくはない。

私は、誰が誰に、また、
私の言葉は誰に対して、どれくらい、
影響を与えているのか、
心理学的要素を含めて分析しながら、
話してしまっている。

これほどまでに人のことを信用できない自分。

こんなに、分析しながら人と接している自分。

“jinrou”???(塵労)
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焼酎。(芋)

焼酎好きの皆さん。
特に芋焼酎が好きな皆さん。

焼酎について語りたい衝動に駆られる私。
今日この頃なんですけど。

てか、情報が欲しい。
おいしい焼酎を知ってない???
教えてよぉ〜
1700円弱の「薩摩白波&桜島(共に黒麹)が私はdai好きです」

全然知らなくてもジャンルが違ってもいいから
おいしいと思ったことのある酒を教えて〜。

私もこれからこのブログにそれを投稿して以降と思ってますわぁ。
☆ヽ(▽⌒*)よろしぅ♪
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ボソッ…えらそうに…

コンビニで働いているときのこと。

登場人物
客(五厘刈りの眉無しとび職)
私(無愛想な店員。笑顔無し)

客:「領収書」

私:「御宛名は」

客:「何も書かなくてイイ」

私:「(無愛想な表情で)無理です。御宛名は」(起爆点)

客:「いつも書いてねーよ。早く出せよ」

私:「いや、無理ですから、御宛名をお願します」

客:「前も書いてねーのに、ナメテんのか!」

私:「いえ、前はどうか知りませんが、これは決まりですので」

客:「同じ店で意見変えてんじゃねーよ!殺すぞ」
      (意見=宛名の扱いであろうと思われる)

私:「すいません。御宛名をお願します」

客:「てめぇ。今度、意見が違ったらただじゃおかねぇからな」

私:「気をつけます」

客:「前株の○○○○、漢字は×××と△△△の☆」(怒りながら妙に素直になる)

私:「はい、わかりました」(書き込む)
  「お品代でよろしいですか」

客:「何でもいいから早くしろよ」

私:「失礼致しました、はい、どうぞ」

客:「今度、意見違ったらこの店ぶっ壊すからなっ!」

と、捨て台詞を吐いて立ち去っていきました。
わたしゃ、言いたかったですよ。
「防犯カメラにあなたの顔(表情まで)と脅し文句の音源が保存されちゃってますよ。もっと小声で話さないといけませんよ・・・」

周りのお客さん。ドン引きでした。当然かな?
私は飄飄と次の客を相手にしていましたが…笑
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周の家!驚愕の事件!

原宿にある“周の家”へ行ってきた。
そこで、ランチバイキングだったのだが、
食べ終わりかけた、その時!

何かが私の前のテーブルを動き回っている…
もしや・・・○×※▽☆!!!

動作中の物体確認。
認証












“GoKiBuRi”参上っ!!!
2cm足らずの ゴキ・ちゃん・ですっ!
若い奴だったなぁ。
つつつっぅっ!と通って、引き返して、
テーブルの下へもぐって行った (=o=;)

私 → 当然、激怒っすよ。
食事中にテーブルの上を、食べ物がある傍を
走っていくんですよっ!
Σ( ̄皿 ̄;; ンガァーーー!!!

因みに、
「ゴキブリ」
〔「御器噛(ごきかぶり)」の転という〕ゴキブリ目に属する昆虫の総称。体は扁平で幅広く、光沢がある。触角は糸状で長い。前ばねは革質、後ろばねは膜状で、通常は腹部の上にたたまれる。夜行性ですばやく走り、狭いすき間に好んでもぐる。人家にすむ種と野外にすむ種があり、前者は食品を汚染し、各種の病原菌や寄生虫を媒介する。日本にはクロゴキブリ・チャバネゴキブリなど約四〇種がいる。アブラムシ。[季]夏。

店員にちゃんと冷静になって言いましたよ。
どーしてくれるんだって。
そしたら何て言ったと思う???
「当店は地下にあるためにゴキブリがいるんですよ」
・・・唖然・・・呆気者め。
“周の家”=“ゴキブリが走り回っているレストラン”
こう言っているようなものであるぞ!

何を言っても仕方ない非常識さを顕にした店員に呆れた。
席に戻ったが・・・

そんなに愛さないでちょうだいよ(ノ≧ロ)ノ<嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌
ゴキちゃん。再登場。
堪らず、紙ナプキンをもって撃墜。
(お手拭でなく紙ナプキンにした私の優しさを感じて)
ここらへんへ来ると、もう、堪忍袋の緒はブッ千切れでしょ!

店員へそれをもっていって見せてやりましたよ。
そしたら、何のことは無い。
さっきと同じように形骸化した謝辞を述べ、
そそくさとゴキブリin紙ナプキンを私から奪い、
何事もなかったようにゴミ箱へポイっ。

怒る気力がなくなりましたわ。
ここまで非常識を極められてしまうとね。
病原菌の代表格を野放しにして何の悪びれもなく業務に就く従業員。
おいっ!代表取締役社長 周 泰鳳!!
原宿本店のサービスはこれでいいのか?

私の怒りが頂点に達したとき(現在)、
関東地方は大きな揺れを観測している。
地球に影響を与えるまでに私の力は強大になってしまったか…
関東地方の皆さん。ご迷惑をおかけいたしました。




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夏の計画

私は夏に“青春18切符”を使って、
旅をしてこようかと計画中である。

大学の休み中に、平日を使って。

ジョルダンやJRのHPを使って調べてみた。

東京から九州まで、1日ではいけないのね。
(別途乗車券を求められる電車を使わないと)

九州の血(地)を感じてこようと思ったのに。
計画の時点で聊か躓いた。

こんな夢を見ていてはいけないかしら?

これって「jinnrou(塵労)?」
癒合 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

したい、しちゃった。(ノ_-; )ハア…

私のしたいことがある。
しかし、それをすると法にひっかかる。
でも、私はそれをしたい。
私にとって癒しとなるからだ。

現在は“したい”ではなく、
“している”である。

この私の心中での葛藤。

「塵労(jinnrou)?」
他愛無い話 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

前期末テスト

私の大学は現在、テスト期間。
前期、出席率が4割弱の私。

当然、授業内容があやふやである。

しかし、テストの際、
付け焼刃の知識で臨む。

これってjinnrou(塵労)?
他愛無い話 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

やらなくてもかわらないこと

どうしたことだろうか。
現在、してもしなくてもいいことをしている。

“ボランティア”
やったからどうっていうことはない。
ただ行って手伝う。
これってjinnrou(塵労)?
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